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大人のための時代小説

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山の神 其の壱

「よお。仁助、猪(シシ)撃ちにいくべ」
弥太郎は自慢の体躯をもうすっかり山に入る形(なり)に包み、仁助の家にやってきた。
弓矢を持ち始めたばかりの弥太郎は猟に行きたくて仕方なかった。
山はもうじきに冬支度に入る。
足場のいい今のうちにでかいやつを一頭しとめておきたかったのだ。

「今日は山に入ってはなんねぇ」
藁を編んでいた仁助が背中で答える。
「なしてだ?」
「今日は、山神様が自分の山の木を数える日だ」
「ああ?」
「今日、山に入ると人間も木と一緒に数えられてしまうべよ」
「別に数えられたってかまやしねぇよ」
「馬鹿こくな。木に変えられてしまって戻れなくなるだ」
いつになく真剣に仁助が言い返す。
「おめぇ、いつからそんなに信心深くなったんだ?」
すっかりその気になっている弥太郎は納得しない。
「だめなもんはだめだ。俺はいかねぇ。村長(むらおさ)にも止められているだろが?」
「あいつらは若いもんに出し抜かれるのがいやなもんで、手前勝手に掟作ってやがるのよ」
目の良い弥太郎は今しがた揺れる羊歯の間に今まで見たこともないような図体のでかい猪を見かけたのだ。
あれを仕留めたら村の連中はどんなに驚くだろう。
俺はもうとっくに一人前なんだ。
力比べだって俺にかなうやつなんざいねぇ。

「おめぇがいかないなら、おりゃぁ一人でいかぁ」
弥太郎は踵を返した。
「おい、弥太!やめろって。一人で山は・・・」
仁助の声はもはや弥太郎の耳には届いていなかった。
「ちっ、意気地なしが」

山は小さいころからの遊び場だ。
「何が怖いことなどあるもんか」
向こう意気と図体だけは立派な弥太郎だった。
自慢の筋肉をこれでもかといきり立たせながら
弥太郎は、ずんずんと木立の中に分け入って行った。
少し進むごとに、折れた枝、今しがた踏みしだかれた草
獣の気配やら、においまでがそこここに残されていた。
まるで追っていく狩人を誘い込むように・・。
「ほれみれ。でっけえやつがいるんじゃねぇか」
弥太郎はもう、夢中だった。

気がつくとずいぶん歩いたようだった。
一人ではまだ踏み入れたことのない森の中にいた。
しかし、知らない森ではない。迷ったわけではないのだ。
弥太郎はそう自分にい聞かせながら、さらに奥に分け入った。

ふわり・・・・
すぐそばの熊笹が揺れた気がした。
素早く弓を構える弥太郎。
しかし獣の気配はない。
「気のせいか・・・」
ゆっくりと腕を下ろす。
ついたため息が自分の耳にこだまのように返ってきて、静けさがほんの少し弥太郎を怯ませた。
やがて山の気配が変わったことに弥太郎も気づき始めた。
すでに追ってきた猪の痕跡は途絶えていた。

ふわり・・・・
かさり・・・・
弥太郎の近くで草や羊歯が囁きのように気配を醸す。
それはもう、先ほどまでの猪の気配とは違うものだった。

「ちくしょう・・・・」
弥太郎は誰にともなく毒づいた。
そして体を低く構えた。
経験の浅い若者にも、マタギとしての能力は備わっていた。
(熊か・・・狼か・・・)
ここで慌ててはヤツの思う壺だ・・・
(ヤツッて誰だ?)
落ち着け。
弥太郎は深く息を吐いて速まる鼓動に言い聞かせた。
歩調を少し遅めて、周りの気配に五感を研ぎ澄ませた。

正体のわからない相手ほど不気味なものはない。
「山の神に木に変えられる」
仁助の言葉が頭を掠めた。
(そんな馬鹿なことがあるもんか)

山の神 其の弐へ続く

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