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  初仕事其の八 押し入り

「声を出すな。刺すぞ」

何が起こったか瞬時には理解できない。
弥右衛門は急激に萎え始めた肉棒を晒したまま呆然と立っている。
おりんはそばにあった着物をすばやく羽織った。
既に頬被りをした男は弥右衛門に匕首を突きつけている。
弥右衛門は眼を大きく開いたまま唇を引きつらせている。。
「ぜ・・銭を出しな。」
匕首を突きつけた手に力がこもる。
弥右衛門はわかったとばかりに縦に細かく首を振った。
「動くなよ」
男はおりんにも命令した。切羽詰った声は掠れて上擦っている。
おりんには弥右衛門を助ける義理はないがこの場は動かないのが得策だろう。
どうやら賊はひとりで、この落ち着きのなさからすると盗人を生業にしているわけではなさそうだ。
金に窮しての押し入りか。

弥右衛門は床の間のあたりをちらりとみたがすぐに箪笥に向かって歩き始めた。
匕首は弥右衛門の喉元につきつけられたままだ。
二人はおりんの近くの箪笥のそばに移動する。
弥右衛門が引き出しから財布を取り出す。
五両ばかりの金子が男に渡された。
押し入りに不慣れな男が金子をしまおうとした一瞬襟首から力が抜け
匕首が喉元から離れた。隙を伺っていた弥右衛門は、見逃さない。
弥右衛門は脱兎のごとく庭に走り出た。無論おりんの命など顧みるはずもない。
「先生!先生!!」
弥右衛門は用心棒の侍を呼ぶ。
一刻と指定したにもかかわらず、近くにいたのだろうか。
それとも不穏な空気をかぎつけたのか、すでに侍はそこに立っていた。
侍が刀に手をかける。
男は逃げ場を失いおりんを振り向く。
「動くな。この娘を殺すぞ」
血迷った男は今度はおりんに匕首を向けてきた。
端女の命など人質の値打ちもないが男にはそんなことはわからない。

侍がじりじりと近づいてきた。
「くるな!くるな!」
男は荒い呼吸をしながらおりんを盾に取り匕首を喉元に突きつけた。
男の手がおりんの胸元で震えている。
「ひっ・・ひっ・・・」
男の恐慌状態が頂点に達し匕首がおりんの顔に触れそうになったそのとき
ひゅんっ!
短く風がおりんの後れ毛を撫でた。
「うっ」男が声を上げる。
おりんの顔わずか一寸をかすめ、侍が投げた小柄(こづか)が男の肩を貫いたのだ。
おりんが横に身をかわすのとほぼ同時に、侍がその場に取って代わる。
月明かりにきらりと侍の刀が煌めいたかと思うと、ざしっと鈍い音がした。
気がつけば黒い頬被りをした男が廊下に横たわっている。

「やっちまったんですか?先生」
どこかに隠れていた弥衛門がもどってくる。
「峰打ちだ。明日番所に連れて行く」
まだ肩で息をする弥右衛門とは対照的にほとんど息も乱さず侍が答えた。
物音に気づいて家のものが騒ぎ出したのはそのあとだった。

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